「ジェンダーやセクシュアリティへの関心とともにナショナル・アイデンティティに疑問符が打たれるなか、自伝的経験というレンズを通した歴史の読み直しは、東ヨーロッパ映画に新たな息吹をもたらす。そしてその読み直しに、メーサーロシュの大胆な方法論が多大な貢献を果たすことになる。彼女のテクストは、自伝映画が作家の自律性の表れでありかつ真に文化的な表象であることの裏付けにほかならない。したがって彼女のテクストは、西洋において『女性映画』がもつ闘争的機能の、東ヨーロッパにおける変形でもあるのだ。」
(Catherine Portuges, Hungarian Cinema of Márta Mészáros – Screen Memories.Indiana University Press, Bloomington, Indianapolis, USA, 1993. 127.)
National Film Institute Hungary - Film Archive のプレスより抜粋——
メーサーロシュ・マールタは、ハンガリーはもとより全世界の映画史においても唯一無二の地位を獲得している。コシュート賞やプリーマ・プリミッシマ賞の受賞者であり、ベルリン、シカゴ、カンヌ、その他多くの国際映画祭において受賞歴のあるこの監督は、まさしく歴史上の重要人物だ。同時代のアニエス・ヴァルダやラリーサ・シェピチコ、ヴェラ・ヒティロヴァらと並ぶ、世界でもっとも重要な女性作家のひとりである。彼女はハンガリー人女性として初めて映画監督の分野で学位を与えられた人物であり、監督デビュー作は世界中の注目を集めた。いまもなお女性の人生(アイデンティティ、逸脱、女性の反抗、性愛、スターリニズム下のハンガリー史)を描き続けている。
1931年、ブダペシュトに生を受けた彼女は、幼い頃から孤児であることに葛藤し、飢えと激動の歴史に苦悩していた。父は前衛彫刻家のメーサーロシュ・ラースロー。ファシズムの台頭により一家はキルギスへ逃れたが、第二次大戦が開戦し、父は粛清の犠牲になった。母もまた命を落とした。マールタはソヴィエトの児童養護施設に引き取られ、終戦後ようやくハンガリーへ帰還した。1954年から56年にかけて、彼女は全ソ国立映画大学に学び、1968年までルーマニアとハンガリーのドキュメンタリーを制作した。これらの自伝的モチーフはのちの「日記」シリーズへと受け継がれ、国際的な称賛を得ることとなる。
彼女は1968年の“The Girl”を皮切りに長編映画を撮り始める。『ドント・クライ プリティ・ガールズ!』、“Riddance”、『アダプション/ある母と娘の記録』、『ナイン・マンス』そして『マリとユリ』では、闘争をいとわない自意識の強い女性主人公たちの人生と、彼女たちの関わりあいのなかで、些細だが重大な何かが起こり、彼女たちが選択を強いられる過程が、一方的でなく、かつ何にも左右されない厳格さで描かれている。これらの作品はすぐさま国際的な評価を得、1975年の『アダプション/ある母と娘の記録』はベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞した。女性監督の受賞も、ハンガリー人監督の受賞も、ベルリン史上初めての快挙である。『ナイン・マンス』は1977年のベルリンにてOCIC賞を、カンヌにてFIPRESCI賞を受賞し、これをきっかけに外資による共同製作の道が開けた。これらの作品は「ブダペシュト・スクール」時代の作品——まだ社会的背景に重きを置かず、心理的な欲求に応じて制作活動を行っていた——とは一線を画している。
共同製作作品『ふたりの女、ひとつの宿命』は、奇妙な三角関係に隠された歴史的背景を明るみにする作品である。「日記」四部作の一作目である“Diary for My Children”は1984年のカンヌで審査員特別賞を受賞した。
30本の長編映画と数え切れぬドキュメンタリーを手掛けたメーサーロシュは、2004年、ハンガリー事件(1956年)のリーダーであったナジ・イムレを題材にした作品“Unburied Man”を制作した。最新作である“Aurora Borealis: Northern Light”(2017年)はいくつかの国際映画賞を受賞。同作では、とある母娘の尋常ならざる運命を通して、ソヴィエトのウィーン侵攻が描かれている。
共同製作作品『ふたりの女、ひとつの宿命』は、奇妙な三角関係に隠された歴史的背景を明るみにする作品である。「日記」四部作の一作目である“Diary for My Children”は1984年のカンヌで審査員特別賞を受賞した。
30本の長編映画と数え切れぬドキュメンタリーを手掛けたメーサーロシュは、2004年、ハンガリー事件(1956年)のリーダーであったナジ・イムレを題材にした作品“Unburied Man”を制作した。最新作である“Aurora Borealis: Northern Light”(2017年)はいくつかの国際映画賞を受賞。同作では、とある母娘の尋常ならざる運命を通して、ソヴィエトのウィーン侵攻が描かれている。
「自立した女性、すなわち自ら何かを選択せねばならぬ局面に陥った女性が、私がこれまでに撮った映画の中心人物です」
(メーサーロシュ・マールタ)
(メーサーロシュ・マールタ)
同アーカイヴによる『アダプション/ある母と娘の記録』 のプレスより抜粋——
解説
メーサーロシュ・マールタは1968年より長編映画を撮り始める。実のところ、まさにデビュー作“The Girl”において彼女の特徴的な主題——孤児であること、親子の関係、女性によるアイデンティティの模索、愛への飢え、孤独——を見出すことができる。主演はハンガリーの有名な歌手、コヴァーチュ・カティ。監督が彼女を起用した理由は、その力強さと特異な個性である。1970年以降の諸作は、こうした自我と闘争をいとわない強さを兼ね備え、本能的に行動を起こす女性キャラクターによって特徴づけられる(ベレク・カティ [訳注:『アダプション/ある母と娘の記録』カタ役など] 、モノリ・リリ [訳注:『ナイン・マンス』ユリ役など] )。我々は彼女たちの視点を通して、社会的環境や60年代から70年代におけるライフスタイルの変化、そして若い労働者や知識人たちが抱える諸問題を目の当たりにする。メーサーロシュは“Riddance”、『アダプション/ある母と娘の記録』、『ナイン・マンス』そして『マリとユリ』において、明確かつ非偏向的、さらにドキュメンタリー的ともいえる厳格な手法で、主人公たちの運命を描き切っている。これらの作品はすぐさま国際的な評価を得、『アダプション/ある母と娘の記録』は1975年のベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞した。そして『ナイン・マンス』は1977年のベルリンにてOCIC賞を、カンヌにてFIPRESCI賞を受賞し、これをきっかけに外資による共同製作の道が開けた。これらの作品は大スターを起用してもいる。『マリとユリ』には彼女のパートナーでもあるヤン・ノヴィツキのほか、マリナ・ヴラディとヴラジーミル・ヴィソツキーらが出演。『ふたりの女、ひとつの宿命』にはイザベル・ユペールが出演している。ゴーモン社との共同製作作品『ふたりの女、ひとつの宿命』は、驚くべき三角関係を通して歴史的背景を描いた初めての映画である。同様の女性的視座を備えた「日記」四部作では、1956年のハンガリー事件に起因する実力行使が起こるまでの、メーサーロシュの個人的記憶が辿られる。同シリーズの一作目“Diary for My Children”は1984年のカンヌで審査員賞に輝いた。
最新作“Aurora Borealis: Northern Light”(2017年)においてもタブーとされている主題に目を向けており、同作はいくつかの国際映画賞を受賞。とある母娘の尋常ならざる運命を描いた歴史映画であり、現代の萌芽ともいえる時期、1945年にソヴィエトの兵士たちがハンガリーとウィーンを占拠した暴力行為の回顧録でもある。
メーサーロシュ・マールタ インタビュー
1970年代、私はこの国の女性が様々な問題を抱えている事実を知り、映画を通して女性が直面する問題に取り組み始めました。偽りの民主主義、偽りの自由は女性の負担を増やすだけで、以降、女性は職場だけでなく家庭でも労働を余儀なくされました。私は女性の知識人にはあまり興味がありません。なぜなら、彼女たちは十分な選択肢とお金を持っているからです。彼女たちを描いていたら、もっと違う作品になっていたでしょう。しかし、ハンガリーでは知識人以外の女性は完全に無価値の存在でした。
“The Girl”を撮る前から既に成功は収めていましたし、同作はパリやベルリンで数週間上映されていました。女性の労働者を描いた『アダプション/ある母と娘の記録』がベルリンの主要な映画祭で女性初のグランプリを受賞したことで、女性が直面する問題の同時代性を確信しました。私は祖国にいる時、特にドイツで、当時フェミニズムがここまで興隆しているとは思っていませんでした。私が女性の東欧人であり、作品が専門的に認められたこともあって、私を受け入れてくれたのです。しかし、ハンガリーにおいて『アダプション/ある母と娘の記録』は障壁にぶつかりました。ジャーナリストたちは「メーサーロシュは、最高賞受賞にふさわしくない。労働者階級を誤って表現した悪作だ。ハンガリーの労働女性は孤独でも不運でも悲しくもない。」と評価したのです。
(Zsófia Mihancsik: Invisible gender. Filmvilág 1999/7.)
レビュー
彼女の作品のひとつ、“Riddance”のハンガリー語タイトルのように、初期のメーサーロシュ作品は確かにハンガリー映画の甦生に多大な貢献を果たした。素朴な人々の気取らない描写を通して、彼女はそれまであまりハンガリー映画で見られなかった社会の様相を、親しみやすい(しかしその後すぐに語りつくされてしまう)題材にするだけでなく、ドキュメンタリースタイルから正確に導きだした明白さで、理屈じみた説教や、あらゆる衝突の心理的な解決をも回避した。映画の登場人物たちは自分たちの運命をじっくり顧みることもなければ、自身の置かれている状況に解決すべき社会的葛藤を見出すこともない。かといって、自分たちの人生をただ無気力に観察しているわけでもない。彼らはイデオロギーに縛られることなく個人として自己を認識し、観念的には把握し難い形で社会と関わりを持っているのだ。ドキュメンタリースタイルで綴られた物語は、彼らを社会的観念から解放する。そして彼らは何かを求めるのではなく反抗へと駆り立てられるのだ。
(Gábor Gelencsér: Loosenings-tightenings. Márta Mészáros and ‘free breathing’ of the seventies.
https://filmkultura.hu/regi/2001/articles/essays/meszarosmarta.hu.html)
レビュー
「『アダプション/ある母と娘の記録』は、カタの取るに足らない物語を詩のレベルに引き上げる、時代を超越した叙情的な質を備えている。静かで肌寒い秋の雰囲気だ。」(The Daily Californian, October 31, 1975)
レビュー
「このハンガリー人の女性監督は、ドラマティックではないが優しさと希望に満ちた、控えめで無口な日常の物語を創り出した。ドキュメンタリー作品のような本作をきっかけに、ベレク・カティはブダペシュトのアニー・ジラルドと称され、静かで、強く、偽りのない演技が認められた。」(Berliner Morgenpost, July 9, 1975)
*順不同・敬称略
へ寄せて——
最高傑作の数々を世に送り出した、ハンガリーを代表する女性監督メーサーロシュ・マールタの作品が日本でも鑑賞できるようになることを歓迎します。人間ドラマとハンガリーの20世紀の歴史も描かれる作品を是非ご覧ください。
——パラノビチ・ノルバート(駐日ハンガリー国特命全権大使)
どの作品でもいい、最初の1分で未知の大監督を発見したと確信する。はかなさとは無縁の、強い生命が画面にほとばしる。女性映画隆盛と言われた70年代映画は、マールタを見ずに語れないはずだった。媚びることを知らぬ女たちは、愛情と薄情の間で揺れ動き、決して希望を手離さず、誇りを持って未来を選択する。全作品必見。
——南波克行(映画批評家)
人を信じ、裏切り、なお愛そうとする登場人物たちを、不器用なひとには見せないのがメーサーロシュ監督の映画だ。
自分で選ぶことはできなかった別の道を、願望とは違う、もっと根源的な個の抗いとして求めようとする姿がそこにある。
彼女たちの目線がカメラに向けられる時、誰も見つめてはいない眼差しをただそのまま受け取りたいと思った。
——小森はるか(映像作家)
年齢や環境の違いを超え、支え合う女性たち。女性の主体性が奪われ性差別が蔓延る環境で、必要ではないルールに抗い、自由さを求めて歩む彼女たちの眼差しの行く先を追いかけたい。共にいることや欲望の複雑さが描かれているところも魅力的。
——竹中万季(me and you)
工場でのきつい労働、男たちは粗暴、それでも欲しい子供。いくつもの共通項から浮かび上がる確固たる作家性に驚かされる。半世紀も前に女性監督が、ここまで“自分の作品”を撮っていたなんて。変奏曲のように描き出される、生きることに格闘する女性たちの姿。過去でもなんでもなく、完全に、私たちの現在地だ。
——山内マリコ(作家)
へ寄せて——
ヤンチョー・ミクローシュの撮影監督ケンデ・ヤーノシュの流麗な移動とチェコの美少女ヤロスラヴァ・シャレロヴァーが魅了する、60年代UKポップスムービーの詩的なハンガリーバージョン!
——赤坂太輔(映画批評家)
メーサーロシュ・マールタ監督を知らずにいた事を私は後悔している。
言葉はシンプルだが、1970年代のタブーに挑戦していく姿勢は本物の映画人。
作品の中の女性が魔性に満ちているが、どこか繊細でありつつ心情の狂気が美しい。
どこで、一時停止しても画になる美的センスには嫉妬さえ感じる。
スクリーンで再会したい。
——サヘル・ローズ(俳優・タレント)
同時代のポップソングと共に、ジョン・ヒューズが『ブレックファスト・クラブ』で青春映画に革命を起こす15年も前。しかもハンガリーに、これほど鮮烈な青春ロマンスがあったとは。今を生きる若者たちの顔、顔、顔。心を奪うハンガリアン・ポップが全編を彩り、「人生はなんと美しいのか!」と高らかに歌う恋愛賛歌!
——南波克行(映画批評家)
ずっと音楽が聴こえる。60年代後半のハンガリーの若者たちが、抑圧されたその環境から逃げ出すときに聴いていた音楽を、わたしも気づくと口ずさんでいた。自分の感情に丁寧に向き合う主人公ユリの表情に魅せられる。
——竹中万季(me and you)
へ寄せて——
なんて芳醇な映画だろう。主人公の女性のさみしさと気高さ。その眼差しには生きることの哀しみも強さも、愛への羨望も諦めもすべてが詰まっている。孤独さえも人生の豊さの一部であることをメーサーロシュ・マールタ監督は教えてくれる。
——外山文治(映画監督)
社会主義体制下でも性差を超えて平等というわけではないことをメーサーロシュは堂々と描く。子供を持つことを決意したヒロインが五感を研ぎ澄まし、制度の仕組みや人間関係を見極めつつ目的に向う勇気が素晴らしい。
——田中千世子(映画評論家)
共産体制下のフェミニズムが鮮烈に描かれていることに感銘を受け、その問題意識が現在世界でも通用してしまうことに嘆き、クールなリアリズムのタッチに息を呑む。疑似母娘関係で結ばれるふたりの女性の心情を伝えるショットの積み重ねはしなやかにして優雅だ。やがて、親、パートナー、そして子を持つことへの普遍的なエモーションが張り詰める。疑いなくメーサーロシュ・マールタ監督の傑作のひとつであり、本作ほど、いま再発見されるにふさわしい作品はないだろう。
——矢田部吉彦(前東京国際映画祭ディレクター)
子供が欲しい四十代の女と、両親にネグレクトされた十代の少女。
二人の間に芽生えるものが擬似家族的なものでもなければ、単なる友情でもロマンスでもない、名付けえぬ不思議な絆であることに心惹かれました。
女性同士に芽生えた新しい関係性をドキュメントで見ているようなスリルと、生き抜いていこうとする女性たちへの眼差し。唯一無二の作品です。
——山崎まどか(コラムニスト)
『アダプション/ある母と娘の記録』で描かれる、世代を超えた女性同士の稀有な結びつき。彼女たちの顔は向かい合うよりも、並んで同じ方を向いた瞬間に鮮烈な印象を残す。メーサーロシュ・マールタは、すでにここで男性に依拠しない女性の生き方を毅然と提示していた。
この時代にいたのは決してアニエス・ヴァルダだけではなかったと、いまこそもう一度刻み直さなければならない。
——児玉美月(映画執筆家)
背景を遠ざけたクローズアップが許されぬ愛から結婚そして養子縁組へと二人の女の心と身体の揺れ動きをひたすら追いかけるゴダール映画の常連だったサボー・ラースローの本国出演作としても貴重!
——赤坂太輔(映画批評家)
窓の外に流れる川。彼女の1日はそれを見つめて始まる。工場で働く独り暮らしの毎日は、決して単調なものではない。自ら変化を起こすのだ。若い少女と絆を結びつつ、43歳の彼女は愛されることを願うが、それを得るため自ら行動する。ベルイマンをも思わせる静謐な心理描写の中に、炎と燃える魂が目に突き刺さる。
——南波克行(映画批評家)
カタとアンナ、彼女たちは眼差しひとつで自身の強さと孤独を語る。
家族、友人、恋人、それどれも彼女たちの関係を表さない。
連帯、という言葉が浮かんだが、少しズレがある気がする。
人と人は、明確な言葉だけにその関係を回収されない。
定義されえない結びつきでも、
人と人が出会い交流が生まれれば、
個々の孤独を抱いたまま肩を寄せ合える可能性があることを『アダプション』は教えてくれる。
寄宿舎の未成年たち、工場で労働する人たちの顔にも、魅入った。
——小田香(映画作家)
年の離れた二人の女性が互いの髪を撫で、流れる涙を代わりに拭き、肩を抱きしめ、コニャックで乾杯する。「恋愛」よりも「結婚」よりも、二人の関係性が最も幸福そうに見えたのはなぜか。
人生に課された決まりきった結末から逃れようとする彼女たちの再出発は、また別の新たな苦難を伴うのだろう。それでも上辺だけの笑顔を維持することをやめた彼女たちは、世界の夜明けをはやめている。メーサーロシュ・マールタの映画に刻まれた、抑圧や鬱屈に抗う不服そうな瞳の輝きを、人間の希望だと私は思う。
——野村由芽/編集者(me and you)
へ寄せて——
幼児性と家父長制は同居し得る。幼い暴君のような男は、愛する女が子持ちであることを如実に嫌がり、自立の機会を奪おうとする。正当な理由がないから、「なぜ?」と聞かれても答えは「どうしてもだ」。進歩的な二重の愛と、扶養による女の支配を狙う極端な男二人もわかりやすい。フェミニズムの教本のような先進的映画だ。
——真魚八重子(映画評論家)
男が寄せる愛情は性欲と紙一重で、常に単発的で激情的だ。主人公のユリは、「男の都合」を受け入れつつ、持続可能な愛をさぐっている。まるでドキュメンタリーを見るかのような真実味。ことにラストの描写の鮮烈さ。彼女の生き方を伝えるため、この映画がどれだけの覚悟で撮られたか動揺しない者はいないはずだ。
——南波克行(映画批評家)
へ寄せて——
女が自立するためには、性という厄介なものを克服するしかないのか。男との関係性をどうにも切り崩せず、支え合う2人の女。時に寄り添い、時に突き放すカメラが悲痛な決断を下す彼らの内面に肉薄する。私たちはいつしかこれが映画であることを忘れ、その場に居合わせているかのようなドラマの渦に巻き込まれてしまう。
——南波克行(映画批評家)
へ寄せて——
メーサーロシュ・マールタ監督に私は完全に圧倒されています。
わけても、1936年ナチ・ドイツのベルリン・オリンピックと男たちを背景に女たちを描く「ふたりの女、ひとつの宿命」の凄みたるや。
——小林エリカ(作家・マンガ家)
映画史にこれほどの大傑作が埋もれていたとは何たる損失か。代理出産という心を乱さずにおかぬ主題を軸に、愛と友情と打算が激突するマールタの総決算は、ついにハンガリーに蔓延するナチズムをも射程に入れる。その中でなお誇りを失わぬ二人の女と一人の男。圧倒的な風格の映像美と、哀切の音楽もひたすら胸を打つ。
——南波克行(映画批評家)